Diary亭日乗

東北大学サイエンスカフェ第114回 単語をとおしてみる言葉の世界

山田衣純
東北大学サイエンスカフェ第114回 単語をとおしてみる言葉の世界
今日はメディアテークのカフェで、
早めの晩ごはん。
インドネシアチャーハンは、
ナンプラー味のチャーハンに
パリパリした麺と目玉焼きが乗っていて、
食感が楽しい。

よく混ぜた方が美味しそうなので、
スプーンで目玉焼きを刻んでいると、
オープンスクエアでサイエンスカフェというイベントが始まった。

東北大学の先生が、月に一度、自分の専門分野について講義し、
テーブルごとに参加者が意見を述べ合うサイエンスカフェ。
カフェから様子をうかがっていると、
参加者の年齢も幅広く、無料で申し込みも不要だったので、
ちょっと参加してみようかな、という気になった。

受付で缶コーヒーと資料を受け取って、テーブルにつくと、
どうやら常連さんのテーブルらしく、
これまでのサイエンスカフェのテーマについて、
おしゃべりがはずんでいた。
私以外は、60代だろうか。

「普段、なかなか聞けないお話が聞けて、
すごく刺激になるのよー。
たまにさっぱり分かんなくて、
なんで来たんだろ、っていう時もあるんだけどねー。
もう70回ぐらい来てるかも。」
と、隣のおばさま。
70回ってすごい。
なんでも続けることが大事。

今日は「単語をとおしてみる言葉の世界」というタイトルで、
情報科学研究科の長野明子先生によるお話だった。

たとえば、日本語では「兄」と「弟」と言うけれど、
英語ではどちらも「brother」。
日本語では動物も人間も「なく」と表現されるけれど、
英語ではどんな動物がないているかによって、様々な動詞が使われる。
言語によって、一つの単語が持つ意味のきめ細かさが違う。

そんなこと、これまで考えたことなかった。

語尾に使われる終助詞「よ」「な」「ね」の
意味と使い分けについても、細かく検証され、
日頃、何気なく話している日本語は、
実は様々な要素で成り立っているのだと気付いて、びっくり。

「無意識で知っていることを意識化すること。
あなたはこれを知っている、
ということを伝えるのが言語学の仕事。」

長野先生のこの言葉に、私はじーんとした。

いつも未知なものに触れたくて、どこかに出かけるけれど、
「あなたは知っている。でも、気付いていないのだ。」と、
誰かに教えてもらうのは、初めての経験だった。
私が何を知っているのか、私は知らない。
私が私にとって未知な存在なのだと思うと、ちょっとわくわくする。

「やっぱり面白いわー、サイエンスカフェ。」
隣のおばさまの独り言に、思わず力強くうなずいた。
また来てみたい。
きっと、新しい世界に出会えるだろう。