Diary亭日乗

考えるテーブル てつがくカフェ〈3.11以降〉読書会―震災を読み解くために―

山田衣純
考えるテーブル てつがくカフェ〈3.11以降〉読書会―震災を読み解くために―
「希望の牧場」を知ったのは、去年の夏。

たまたま通りがかった勾当台公園で、
子ども向けのカリンバ作りワークショップに参加した。
隣のテントで売っていたコーヒーを飲みつつ、
子どもの工作に付き合っていたら、ステージで演説が始まり、
どいうやらこのテントの群れは、脱原発集会らしいということに気付いた。
あー、場違いなところに来ちゃったな。

でも、工作が終わるまで、ここから離れるわけにもいかないし、
興味があるような顔をして、ステージを見ていると、
日焼けしたおじさんが、マイクを握ってしゃべり始めた。

吉沢さんは、福島の警戒区域で、「希望の牧場」を運営し、
被曝した牛を飼い続けている。
エサの確保が難しく、
宮城県が持て余している汚染牧草を寄付してもらえないか、と、
浪江町からトラックでやって来たのだ。

トラックには、住民が避難した後、
餓死した牛の写真が貼られていた。
手持ちぶさたで、なんとなく見ている内に涙が止まらなくなり、
「希望の牧場支援手ぬぐい」を買い、
ついでにデモまで参加してしまった。

今日、メディアテークで開かれている読書会に参加したのは、
その吉沢さんと希望の牧場がモデルになった『聖地Cs』が、
課題図書になっているからだ。
Diaryに「てつがくカフェ」と、紹介されていたのも気になった。

てつがくカフェの読書会は、
一冊の本の読み方を通して、
「他人と自分とはどう異なるのか」を理解することを目指し、
お互いの変化をうながすような対話を重ねている。

読書会は、ファシリテーターの綿引さんに交通整理されながら、
時々、皆で腕組みしてうーんとうなりながら、
ゆっくりと進んでいった。

被曝した牛を飼い続けることは欺瞞ではないのか。
聖地とは何なのか。
動物への礼儀とは何なのか。

話すことで生まれた問いを、黒板に書き連ねていくと、
また誰かが「私はこう思うんですけど・・・。」と、
言葉を選びながら話し始める。
皆、静かに耳を傾けている。

これまで経験してきた「話し合い」は、
いつも誰かを説得することを目的にしていたと思う。
「へえ、そんな風に考えるんだ。」と、お互いの違いを認め合えたら、
ずいぶん生きやすい世の中になるんじゃないだろうか。

難しいことを難しい顔で語るのではなく、
人と丁寧に関わろうという気持ちにさせてくれる「てつがくカフェ」。
日々の暮らしに生かせる、
大事なエッセンスをもらったような気がする。