少し早く着いてしまった。
一人で美術館に来たのはいつぶりだろう。
いつもなら、着替えやお弁当や水筒の入ったカバンを肩にかけて、
走る息子を追いかけて、受付を素通りし、
カフェの奥にある創作室に向かう。
大工に憧れている息子は、
木工用の道具が揃っている創作室が、大のお気に入りだ。
朝から夕方まで、入り浸ることもある。
今日は珍しく夫が休みで、
一人で出かけてきたら、と言われたものの、
あいにくの雨。
街中をぶらつく気にもなれないし、
急に行きたいところなんて、思い付かない。
手帳を開いたら、
たまたま挟んでいたDiaryの「美術館講座」が、
目に飛び込んできた。
そうだ。美術館に行こう。
あそこのカフェでフルーツタルトを食べたい。
今、何の展覧会をしてるんだっけ。
ネットを検索すると、
『わが愛憎の画家たち針生一郎と戦後美術』。
針生一郎…。
聞いたことのない名前だ。
でもとにかく、美術館の持つあの静けさに浸りたかった。
2階の展示室は、
ほどよくしっとりした空気につつまれ、
時折、誰かの咳払いが聞こえた。
戦争をくぐり抜けた画家たちの絵の密度に圧倒されながら、
そろそろと進む。
針生一郎は、戦前生まれの仙台出身の批評家で、
キャプションには反骨精神あふれる彼の言葉が並んでいた。
一枚の絵の前で、足が止まった。
画家の名前は、池田龍雄。
今日の美術館講座の講師だ。
タイトルは『反原爆シリーズ・埋められた魚』。
ビキニ諸島で行われた水爆実験がモチーフらしい。
一体、どんな人なのだろう。
何となく申し込んだ美術館講座だったけれど、
途端に興味がわいてきた。
講堂は、ほぼ満席で、
若い女性学芸員が、熱っぽく今回の展覧会の意義を語っていた。
彼女からマイクを渡され、
黒い服の小柄な老人が話し始めた。
特攻隊員として迎えた敗戦、
自由を求め、前衛芸術家として歩み始めた戦後、
安保闘争の挫折、
個人が時代の流れに逆らう杭として生きる大切さ、
よどみなく話は続き、
あっという間に質疑応答になってしまった。
一人の前衛芸術家の生き方を追体験するような講演だった。
流されないとやっていけない。
流される度にいつもそう思う。
でも、あれから「流れに逆らう杭」という言葉が、
呪文のように頭の中で響いている。