宮城県美、美術館講座へ。
4回連続講座の3回め。
3回目になると、だんだん通う道に飽きてくる。
同じ道を通ることを避けたい。
「三角食べ」じゃないけど、おかずか汁物か何かしら変えないと飽きる。
遠いわけじゃないので選択肢は限られるんだけど、
なるべく通ったことのない道、
頭の中の地図のぼんやりしている方角へ、えいや!とウインカーを切る。
上手くこれが出来るととても気分がいい。
たとえ行き止まりだったとしても。
講座に来る前は守備範囲外だった宮城県美術館に、
来るようになったのだから大きな変化だ。
願わくば、天文台や科学館でなら味わえる
「わーーーー(キラキラ)」って武者震いするような感動を味わえればいいんだけど。
常設を20年ほど見ていないので、改めて見てみたい。
会場はいつもより人が多い。空席を探すのに苦労しそう。
定位置の最前列へ。
口上から察するに、今回の先生は有名な先生のようだ。だから人が多いのか。
講師の椹木さんは批評家かつ美術大学の先生をなさっていて、
その昔針生一郎さんに褒められたことが縁で、その後の付き合いが始まったらしい。
お話慣れしている様で、今日の話の構成を説明する。わかりやすい。
本編が始まるが、学術的な事は良くわからなかった。
アバンギャルドとかリアリズムとかテーゼだとか意味がわからない単語がいっぱいで、
前後の文脈から意図を予想して聞いたので、その部分は教養のない僕向けではない。
無教養の琴線に触れたのは、針生さんの弱きを助ける姿勢だった。
時に美術家は、一般人が眉をひそめるような作品を主張の表現として作ることがある。
その作品に悪意や犯罪性が無かったとしても、文脈を理解しきれない一般人の批判によって作品の公開や作家活動が制限される事がある。
そんな時に針生さんは、作家を助ける為に裁判を起こしたり、活動の場所を確保してあげて作家の未来を応援してあげたりするそうだ。
針生さんの本心は美術の力で社会良く変えていきたい、と言う思いであって、その為に美術評論を生業にしているように感じた。
だから、評論家にとどまらず、作家の面倒を見るような行動も起こしてしまうのだろう。
救われた方の作家も、後日談として「あの時針生さんが機会を作ってくれなかったら今の私達はありません。」と言うくらい、助けられた実感が在るようだった。
その利他の思いはきっと次の世代にも受け継がれて行くだろうし、そうなってほしいと思う。
自分を省みるとまだまだ人に尽くせるほどの能力はないけれど、
年を取ったらそれくらいのことが出来る余裕は持っておきたい物だと感じた。