Diary亭日乗

れきはく講座「狼と熊の獲り方―江戸時代の記録から―」

門傳一彦
れきはく講座「狼と熊の獲り方―江戸時代の記録から―」
このタイトルはインパクトがあった。「狼と熊の獲り方」。狩猟免許を持ってる知人もおり、ちょうどこの手の話題が気になっていた所だったので、国府多賀城という重厚な名前の駅にある東北歴史博物館に赴いた。
話をするのは歴史博物館の職員さん。初めは現代行われている熊猟について写真で紹介があったのだが、だんだん狩猟技術の説明という雰囲気ではなくなってい く。結論から言うと、「獲り方」の説明ではなく「獲り方の記録から紐解く熊や狼と人との関わり方」の話であったのだが、これが予想外に興味を惹かれる内容 だった。
現在の熊の獲り方は、主に3つ。基本的には春の「巻狩り」という方法で、山肌にいる熊を発見したら7~10人以上で取り囲み、ライフル等で仕留める。秋はオリ、冬は穴グマ猟(冬眠する熊の寝床に入り直接仕留めるという古来のエキセントリックな技法)も行なわれている。?江戸時代に関して講師の職員さんが弘前藩の文献を調べてみたところ(これも200年分・3300冊・計300万ページという膨大な資料を読んだという驚き のものなのだが)、2千頭ほどの捕獲記録によると3~7人の少数で行われており、かつ火縄銃程度しかない時代に巻き狩りが行われた可能性は低い。オソなど と呼ばれる罠を使った記録もあるが、どうも主にタテ(槍のようなもの)で捕獲していた可能性が高いことが判明した。熊は「熊の胆」が珍重されており、身の 危険があっても熊の胆を守る事を優先したようだ。事実、現代の狩猟方法に比べても、鉄砲に比べてタテ猟では圧倒的に熊の胆を傷付けない。
一方の狼の話は随分と様相が違っている。狼による被害は人にも及んでいたのだが、捕獲された時期を調べてみると馬に関係することが分かった。南部駒という 幕府に献上する馬が襲われた翌年以降に劇的に捕獲数が上がっており、その年の狼捕獲数は2疋であったものが翌年に「殲滅作戦」を開始し59疋、3年後には 105疋に至っている。捕獲方法も毒殺を辞さず、まさに殺すことを目的としている。
どちらも山の生き物として捉えていた熊と狼だが、方や珍重され、方や殲滅を計画されるなど扱いが随分違うということに驚きつつ、また狼殲滅は人の被害より も馬の被害に対して行われるという当時の事情も垣間見え、特に明日に役に立つ予定のない情報なのだけれど、メモだらになったのレジュメと共に、奇妙な満足 感を抱きながら帰路に着いた。