Diary亭日乗
清信一芳写真展「呼吸」
岩松伸幸
清信一芳写真展「呼吸」
僕はアートが苦手だ。
苦手ではあるけど、風景画や絵巻物、焼き物なんかは大丈夫で、
きれいな景色だなぁとか、この器に料理を盛ったらさぞ素敵だろうとか、想像が膨らんで楽しい。一方で幾何学模様の絵とか、文脈の分からない詩なんかはダメだ。
作品自体がよくわからないし、せっかく見たのだからその内容を理解しようと深追いし、解説を読んでもピンと来ず、時間を無駄にした感じさえ持つことがある。
きっと、目にした作品の意図する所を正しく理解できないのが嫌なのだろう。
そんな話を、友人のアートライターさんにしたことがある。
彼女曰く
「自由に楽しめば良いと思うよ。
でも、理解したいならアートについての勉強、
特に歴史は勉強した方がいいかもね。」
と言われた。
教養も必要だけど、自分の感性で楽しめばいいのか、と少し苦手意識が薄くなった気がした。
そんなことを思い出しながら、青葉消防署近くのKalos Galleryに来た。
清信一芳さんの写真展「呼吸」を見る為。
大通りから入りマンションのエントランスの隅にギャラリーの入口があった。
床面から一段低い鉄の扉は、看板と灯りがなければ気が付かなそうな感じ。
ちょっとワクワクしながら扉を開ける。
中は綺麗に整ったギャラリーで、静かに音楽が掛かっている。
奥から店主が出てきて、入場料を払う。
そのまま展示を拝見する。
露光強め、花びらがいくつか落ちたコスモス
小鳥が鈴なりの電線のシルエット
冬の田んぼと霧が立つ里山
おそらく廃墟であろう、昭和なラブホテルの看板
名掛丁の交差点を渡る、動きでブレた人達。
南相馬の看板近くを歩く老夫婦
鳥のとまった生け垣
鳥の居ない生け垣
先の助言を心に、自分なりに楽しむ。
写真は瞬間なので動かないのだけど、それぞれに時間の経過を感じた。
花は枯れるし、人は歩くし、ホテルの気配はずっと昔の気配だ。
清信さんは何かを思って、カメラを構え操作し、この瞬間にシャッターを押したのだ。
その時、心がなにか動いたのだ。
それに触れられた気がして、満足だった。
壁にある短文を読む。
ココに乗せていいかわからないので、僕に残った印象を書く。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
普段、意識することはないが、時間は絶対的な力で流れている。
大切な物は日常に潜み、見えないし聞こえない。
それを視ようと、聴こうと、カメラを構えた。
そんな風に感じた。
来客ノートに感想をゆっくり書く。
書くと自分の感覚を改めてふれる事が出来、あ、楽しんでるな自分と感じた。
パンフレットを購入し、店を後にする。
いつもの喫茶店が目と鼻の先なので寄り道する。
店主と、薄めに入れてもらったコーヒーを片手にアートとか写真とはなにか話し込む。
アートを楽しんでいる様子だなぁとなんとなく思った。