八重洲書房の棚 1970‐1993

覚書と年表による序章

高橋創一
<はじまりに代えて―八重洲書房に関する覚書>

 私が最初に八重洲書房という名前を聞いたのは、2008年頃のこと。年配の方と書店についての話をしていた際、かつて仙台駅前で営業していたその店の凄さを熱く語られたように記憶している。その後も、書籍/書店についての話をする際に八重洲の名は度々出てきた(注1)。曰く、「本の並べ方、棚のつくりかたが凄い」「仙台では八重洲でしか手に入らない本が多かった」「チラシやミニコミが印象的だった」……。
 2004年から仙台に住んでいる私にとって、1970年から1993年まで営業していた八重洲書房は、空間、時間ともに大きな隔たりがあるが、そこは一体どのような書店空間=書籍と人、人と人とが行き交う場所だったのか気になってきた。ネット書店での買い物が定着する一方で、個人経営の書店が仙台の街から姿を消し始めていた頃のことだ。
 その後、当時の店を知る人の発言や資料を集めていくなかで見えてきた八重洲書房の姿をここで紹介する。私たちは「“棚”を持つ書店」「情報センターとしてのブックストア」(注2)という2つの観点から八重洲書房を見ていきたい。ここでいう“棚”とは、「直観的に『その本』を『あるべき棚』に収めることができる」(注3)“棚”を指す。
 この試みを通して、「かつてこのような書店があった」という回顧に着地するのではなく、仙台の現在を逆照射したい。何がしかのオルタナティヴ、別の在り方、別の可能性を探りたいのだ。「眼に過去の潤いを」(九鬼周造)持たせるひとつの方法として、八重洲書房の残像を追いかけていく。


注1:インターネットで検索をかけると、ブログやSNSでも八重洲書房に関する記述が散見される。また、南相馬市立中央図書館館長補佐(当時)の早川光彦氏は石橋毅史『「本屋」は死なない』(新潮社、2011)のなかで、「仙台の最寄りの本屋は八重洲書房だった。あの店のおかげで、本を魅力的に見せること、本の素晴らしさを棚で表現することに若い頃から馴染んでいました。八重洲書房が、図書館員としての私の原点ですね」と語っている。

注2:佐藤通雅発行の同人誌『路上 第69号』(1994)には、閉店した八重洲書房について「書店機能にとどまらぬ広い意味の文化情報の場として、世話になったひとも数おおくおります。いち書店を超えて、心をよせるものたちの共同の<場>になったといってもいいでしょう」とある。センダードマッププロジェクト・編『センダードマップ もうひとつの生活ガイド<仙台・宮城版>』(カタツムリ社、1987)に登場する八重洲書房は、「広場」というカテゴリーにくくられている。「仙台の『ミニコミの殿堂』『情報の交差点』『ミニメディア物々交換の市場』といえば、まずここ八重洲書房」。

注3:店主・谷口和雄「新しい『知』のもとめに」より


<年表>
◎この年表は八重洲書房が営業していた1970年から1993年までの資料と、店を知る人物たちの証言により構成されています。

◎当時のまとまった資料は現存していないため、ここに掲載されていない情報をお持ちの方や事実関係に間違いがあるとお分かりの方は、ニューフィールドレコーディング準備室までご一報いただけると幸いです。


1970年4月3日 八重洲ビル(仙台市青葉区中央1-9-33)1階にて開業。「水産加工品や雑穀、歌詞などを並べたマーケットの中に若夫婦が本屋を開いた」(「河北春秋」)。約10平方メートルほどの広さで、品揃えは人文書中心。

1980年12月 サンスクエアビル1・2階(仙台市青葉区中央1-8-22)に移転。「1階が雑誌関係、2階が書籍になっており、総売り場面積は40坪。学生と大学関係の客が中心」(『ダ・カーポ』)「店内の階段の至る所に催しもののポスターが貼られ、手すりにはヒモを通したミニコミ、チラシ類が互いを隠すほどにひしめき合っていた」(『センダードマップ』)。2階の隣接スペースでは、その後喫茶店「グッドマン」が営業する。

1983年2月 『人文会ニュース no.37』に店主・谷口和雄の「新しい『知』のもとめに」が掲載される。


1985年12月13日 朝日新聞宮城版に、同月26日に仙台電力ホールで開催された浅川マキのコンサート告知記事が掲載される。店主・谷口をはじめとした有志6、7人で構成された「グループかもめ」が企画・運営するコンサートであり、記事中には谷口へのインタビューもある。

※この頃、谷川俊太郎と天野祐吉の公開対談を主催する。

1986年3月4日 『ダ・カーポ』(マガジンハウス)特集「<全国調査>私の好きな本屋さん」に「仙台 八重洲書房 異色ブックフェアが売り」として掲載される。「いままで開いた主なブックフェアは、ジャズフェア、日本文化の深層を考えるためのブックフェア、日本幻想文学作家フェア」。

1987年7月15日 ダックシティ丸光仙台店(仙台市青葉区中央1-9-33)地下2階に移転。定休日なし。10時から20時30分までの営業。

1987年8月5日 移転記念に、椎名誠の講演会がダックシティ丸光8階で開催される。サイン会は八重洲書房店内にて実施。

1992年10月12日 『本の雑誌 11月号』(本の雑誌社)特集「偏愛書店」に、読者から八重洲書房に関する投稿記事が掲載される。「そ~と~怪しい書店です。小さい店なのに、その品揃えが、ツボにはまっているとゆーか、かゆい所に手が届くとゆーか」。

1992年10月15日 『ヤエスだより』創刊号発行。ブックフェアやイベントの情報、コラムなどで構成されたフリーペーパー。

1992年11月18日 佐藤通雅企画(八重洲書房共催)「路上」講座第1回開催。会場は第一生命タワービル20F。講師は小浜逸郎。

1993年11月13日 佐藤通雅企画(八重洲書房共催)「路上」講座第2回開催。会場は仙台ビジネス専門学校。講師は清水真砂子。

1993年12月10日 閉店。

1993年12月11日 河北新報に閉店に関する記事が掲載される。「文学や哲学をはじめ、美術や映画の専門書などを多く取り扱ってきた。また、自主上映の映画や演劇のチケットを販売するなど、特色ある店作りをした」。

1993年12月12日 河北新報「河北春秋」に八重洲書房閉店に関する文章が掲載される。「個性的な本屋を目指し、東京の本屋に足しげく通い店づくりを学んだ。本の在庫から書棚のどこにあるかまで、店員さんが即座に答えてくれる。気持ちがいい。八重洲書房は今時珍しいそんな本屋だった」。


参考文献

センダードマッププロジェクト・編『センダードマップもうひとつの生活ガイド<仙台・宮城版>』(カタツムリ社、1987)
『人文会ニュース no.37』(人文会、1983)
『ダ・カーポ 1987年3月4日号』(マガジンハウス)
佐藤通雅・発行『路上 第69号』(1994)
相田良雄『出版販売を読む 営業部員の財務感覚』(日本エディタースクール出版、1993)
永江朗『筑摩書房それからの四十年 1970-2010』(筑摩選書、2011)
石橋毅史『「本屋」は死なない』(新潮社、2011)
浅川マキ『こんな風に過ぎて行くのなら』(石風社、2003)
『アイデア 367 日本オルタナ文学誌 1945-1969 戦後・活字・韻律』(誠文堂新光社、2014)
『アイデア 368 日本オルタナ精神譜 1970-1994 否定形のブックデザイン』(誠文堂新光社、2014)
赤田祐一、ばるぼら『20世紀エディトリアルオデッセイ時代を創った雑誌たち』(誠文堂新光社、2014)
細谷修平・編、メディアアクティビスト懇談会・企画『メディアと活性』(インパクト出版会、2012)
河北新報データベース

取材協力:細谷修平