「もう寝る」。
テレビを見ながらピーナッツをつまむオットを後に不機嫌でリビングを出る。
「おー。おやすみ」。オットは私の機嫌を気にしていない。
不機嫌の理由はDiaryに山盛りにされたピーナッツの殻。
夫婦になる前。
私たちは、毎月Diaryにマルをつけて楽しみの予定を決め、Diaryを手に出かけた。
オトコは結婚すると楽しみの地図を屑入れにしてしまうのか。
3月22日(日)不機嫌な朝。
「10時になったら出掛けよう」とオット。
「塩竈市杉村惇美術館のギャラリートーク。Diaryにマルついているよ」。
そういえば、彼の帰りを待ちながらひとりマルつけていた。
私ご機嫌。出掛けよう。
塩釜は昔からの港街。漁師が街を豊かにしてきた。豊かな街には文化が生まれる。
文化を育んできたのが公民館本町分室。
建物の1階が公民館。杉村惇美術館は公民館の2階にある。
美術館の窓からは、塩竃神社を中心に広がる街が一望できる。
生活の中にある美術館なのだろう。
ギャラリートークまで時間がある。
常設展と特別展「市民所蔵の杉村惇作品展」を2人で一回りする。
洋画家杉村惇は塩釜の生活の中に生きた画家だ。夏祭りのポスターを手がけることもあった。
「鱈」の前に立つ。
「この鱈うまそうだな」。こどものようなオットの感想。
「ここ景色いいな。外いってみよう」。ホントはこどもなのかもしれない。
ひとりになった。
間もなくギャラリートークが始まる。
茶色のジャケットに深い赤みがかったベージュのシャツを品よく着こなす初老の男性が現れる。お話される吾妻篤氏だ。学生時代に杉村氏に師事。お話の端々に人懐こさを感じる。きっと杉村氏に可愛がられていたのだろう。
杉村氏の作品の解説を思い出と共に語ってくれた。
参加者は15人程。年齢層は高め。吾妻氏を囲み熱心に話を聞く。自らも絵を描くのだろう。時折筆を持ち描く仕草をする人もいる。
杉村氏は東京生まれ。疎開で塩釜に移り住む。
吾妻氏の思い出の中の杉村氏は、
酒を飲まない人だった。
よく生徒を褒める教師だった。
絵画のモチーフを「いいもんだな。いいもんだな」と撫で回していた。
晩年は自身の死後妻が生活に困らないよう小品を数多く手掛けた。
穏やかで家族思いだったのだろう。
杉村氏は描く絵そのものが現実でありたい。この絵そのものが本物だ。とよく語ったそうだ。
正午を伝える音楽が聞こえる。
「鱈」の前にもう一度立つ。ひとりで立つ。
真っ黒に日に焼けた漁師が船の出港を告げる大声。
波に揉まれながら引き上げる大量の魚が入った網。
帰港する船を迎える漁師の家族。
「いいの入ったからから先生に食べさせて」。鮮魚店の主人が鱈を杉村家に持って来る。
「ありがとうございます」。受け取る杉村氏奥様の笑い顔。
「いいもんだな」鱈を愛でながら描き始める杉村氏。
私は杉村氏が生きた日々の塩釜の街に佇んでいる。
「お待たせ。お土産」。オットが戻っている。
チョコレート専門店の袋を手にしている。
「帰ってコーヒーにしよう」。オットが言う。
甘えおって。しょうがない。特別にコーヒーを淹れてあげよう。